ホタルイカの季節

今年も3/1から富山のホタルイカ漁が解禁される。
anocadoには毎年、滑川漁港から直送の生ホタルイカが厨房に届けられる。
私は今日も不思議でしょうがない。
何故、彼らはそこにやってくるのか?
我々が盆や正月に故郷に帰ったり、休暇のたびにお気に入りの地を訪れる感覚なのかと?
産卵の為にその地を訪れ、その地で生命が繋がれる。
命の継続確率を向上させるには、別の場所を選ぶ選択もある中で、その地を選んでいるのかと…。
私は日頃から自転車であちこちに仕入れに向かうが、幾度かタイヤがパンクした道を避ける様になるし、大型工事を施工してる範囲は遠避けたりする。
彼らにも、その様な思考があるのか?
それとも、それよりも有益な理由があるのかは知る余地もないが、彼らは今年もこの地を訪れる事に他ならない。
そして、そこには出迎える者(漁師)がおり、その先に私がいて、その先にお客様がいらっしゃる。
もしも、彼らの目的が産卵と共に、お客様へのコミットを望んでいたと想定する。
彼らが接触できるお客様は、以下の2種類に分類される。
① 彼らを求めるお客様。
② 彼らの求めを伝達する私。
①は、互いに想い合ういわゆる相思相愛の両思いで目的の達成と言える。
②は、片思いを手助けする友人的な働きで、私次第で目的の成就が左右されることになる。
この様に考察すると、
②における私によって大きく未来が変わってくることになる訳だ。
彼らが、生命と引き換えにお客様にコミットする目的が、序章にあげた「命の継続確率の向上」であれば命のサイクルは円滑であり、サスティナブルだ。
そして「ホタルイカ好きに悪い人はいない」と立証できるだろう。
さて、そこで重要な私ができる事は、彼らの想いを最大限に増幅させる事である。
その為にレシピを練上げ、最善の調理を行う事。
鮮度を保つ為、パンクをしない道を選ぶ事。
ひと目にさらさず(市場を避け)、優しい漁である事。
滑川のホタルイカ漁はホタルイカの為に一年をかけて丁寧に丁寧に行われる。
彼らを傷つけない様に、手編みで藁を紡ぎ網とし、成長を見届け正しい時期を見定めている。
無差別に身勝手な誘拐・略奪・強姦は行わない。
何故なら、それが「漁」であり、彼らと共存する絆であるからだろう。
anocadoの贈る 「ホタルイカのPaella」 にはこんな物語の一部があるんです♪
さぁ。美味しくいただきましょう🥘




